チョムスキー 時事コラム・コレクション

言語学の大御所であるノーム・チョムスキー氏はまた、時事問題に関する優れたコラムニスト、エッセイストでもある。 本ブログでは、チョムスキー氏のウェブサイト https://chomsky.info/ から、特に心に残るコラム、エッセイ等を選んで訳出・紹介する。

チョムスキー 時事コラム・コレクション・9

 

[文明は資本主義を生き延びることができるか]


原題は
Can Civilization Survive Capitalism?
(文明は資本主義を生き延びることができるか)


今回の文章は、中心となるテーマは表題の通り、現行の資本主義(と民主制)への批判であるが、ほかにチョムスキー氏の長年の関心事であるテーマがいろいろ顔をのぞかせている。それについては、末尾の[その他の訳注・補足など]を参照。

 

7年前、すなわち、2013年に書かれた文章であるが、いぜん有効性をうしなっていない。言い換えれば、憂慮すべきことに、状況はそれからほとんど変わっていないということである。


原文サイトは
https://chomsky.info/20130305/

 
(例によって、訳出は読みやすさを心がけ、同じ理由で、頻繁に改行をおこなった)


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Can Civilization Survive Capitalism?
文明は資本主義を生き延びることができるか


ノーム・チョムスキー

『オルターネット』誌 2013年3月5日

 

 

アメリカの経済体制にふれる場合、一般に「資本主義」なる言葉が用いられる。しかし、その体制には、創造的な革新に向けての助成金、「大きすぎてつぶせない」銀行に対する政府の保障措置、等々をふくむ、国家による相当の介入が組み込まれている。

 

かつ、この体制は高度に独占化が進んでいる。そのため、いわゆる「市場」の論理がいっそうの掣肘を加えられており、この傾向は落ち着く気配がない。ここ20年の間、上位200社の収益が全体に占める割合はいちじるしく高まった。これについては、ロバート・マクチェズニー教授の新著『デジタル・ディスコネクト』でふれられている。

 

今や「資本主義」なる言葉は、資本家が存在しない体制に言及する際にもふつうに用いられている。たとえば、スペインのバスク地方に拠点を置く、労働者所有のグループ組織『モンドラゴン協同組合企業』、あるいは、米国オハイオ州北部で増加しつつある労働者所有の事業体(保守派の支持もしばしば取り付けている)など、である。この2例は、ガー・アルペロヴィッツ教授のすぐれた著作の中で論じられている。

 

また、「資本主義」なる言葉を、ジョン・デューイの提唱した「産業民主制」(訳注1)に言及する際に使う人間さえ見受けられる。デューイは19世紀終わりから20世紀前半にかけて活躍したアメリカ有数の社会哲学者である。

(訳注1: 労働者の代表が会社経営に参加する体制)

 

デューイは、労働者が「産業にかかわる自身の運命の主人」であることを提唱した。また、すべての体制-----生産、取引、広報・宣伝、物流、通信などの各手段をふくめ-----が共同の管理・運営の下に置かれることを求めた。そうでなければ、政治は「大企業が社会に投げかけた影」にすぎぬものとなるであろう、とデューイは説いた。

 

デューイが指弾した寸足らずの民主制は、近年、見る影もない惨状を呈している。政府を牛耳っているのは、今や、所得水準のトップ層に属するごく少数の人間たちであり、「下々」の大多数は、実質的に選挙権がないにひとしい。要するに、現行の政治・経済体制は金権政治の一種であって、民主制からはなはだしく乖離している-----民主制というものが、一般国民の意思により政策が大きく左右される政治的システムであるとすれば。

 

ここ何年にもわたって、資本主義が民主制と両立し得るかどうかについて、真剣な議論がなされてきた。もし really existing capitalist democracy(訳注2)----以下、略して RECD と呼ぶことにしよう-----に話をかぎるとすれば、この問いに対する答えは判然としている。すなわち、まったく両立し得ない、と。

(訳注2: 「今現在、実際に運用されている資本主義・民主制」ぐらいの意。現行の資本主義・民主制)

 

文明は、この RECD 、そして、これにともなういちじるしく減退した民主制の下で存続できようとは思えない。民主制がきちんと機能しさえすれば、はたして話は変わるだろうか。

 

文明が直面するもっとも喫緊の問題、つまり、環境破壊の問題について取り上げてみよう。

RECD の下ではよくあることだが、政府の政策と世論の間には非常に大きな懸隔がある。この懸隔の性質については、アメリカ芸術科学アカデミーの機関誌である『ダイダロス』の最新号で、複数の論文が考察をくわえている。

 

研究者のケリー・シムズ・ギャラガー教授によると、「再生可能エネルギーに関し、なんらかの政策を実施している国は109に上り、目標を定めている国は118に達する。一方、アメリカは、国レベルで再生可能エネルギーの利用促進を図るいかなる着実で一貫性のある政策も採用していない」。

 

米国政府の方針を国際的な潮流から逸らせているのは、国民の意見ではない。とんでもない、米国民の意向は、政府の政策が示唆するものよりずっと世界標準に近いのである。そしてまた、起こり得る環境災害に対処するのに必要な措置を、より熱心に支持している。その起こり得る環境災害は、科学者たちが圧倒的な意見の一致で予測するものであるとともに、はるか未来の話でもない。まずまちがいなく、われわれの孫の世代の生活に影響をおよぼす。

 

上記『ダイダロス』において、ジョン・クロスニックとボゥ・マキニスの両氏はこう指摘している。
「発電時の温室効果ガスの排出量削減をめざす連邦政府の施策は、国民の大多数に支持されている。2006年では、86パーセントの回答者が電力会社に対する排出量削減の義務付け、または、減税措置によるその促進に賛意を示した。同様に、同年の87パーセントの回答者が、水力、風力、太陽光などによる発電を手がける企業に対する減税措置を支持した(これらの高い支持率は、2006年から2010年にかけて維持され、その後やや低下している)」。

 

一般国民が科学の声に耳をかたむけるという事実は、経済や国策を牛耳っている人間たちにとって、ひどく悩ましい問題である。

 

彼らの懸念をよく表している現今の例の一つは、ALEC(米国立法交流評議会)が州議会に提案した「環境リテラシー育成法」である。ALECは、企業の出資するロビー活動組織であり、企業部門とトップ富裕層のニーズに応える法を立案する。

 

この法は、幼稚園から高校3年生までの教室で、気候科学に関し「バランスのとれた教育」なるものを義務付ける。
この言い回しは、気候変動に否定的な見解を紹介することを指す婉曲語法であり、プログラムのねらいは、気候科学の主流的見解と「バランスをとる」(均衡をはかる・相殺する)ことである。これは、言わば、公立学校で「創造科学」(訳注3)を教えることを主唱する「創造科学者」が、それを「バランスのとれた教育」と呼ぶのと同断である。
この ALEC の提案を土台にした法案は、すでにいくつかの州で提出されている。

(訳注3: 聖書の天地創造を科学的に正しいとする説。この説を採る人を creationist(創造科学者)と呼ぶ)

 

むろん、こうした動きいっさいは、いわゆる「批判的思考」をはぐくむという美辞麗句で装われている。「批判的思考」をはぐくむのはもちろんけっこう。だが、われわれ人類の存続をおびやかす問題、企業収益の観点から重要であるがゆえに選ばれた問題などよりも、もっと群を抜いて適切な例を人はたやすく思いつけるはずである。

 

また、メディアの報道では、気候変動に関し、通常、2者間の論争が提示される。

 

一方の側には、圧倒的多数の科学者たち、世界各国の主だった科学学会、職業科学者の機関誌、IPCC(国連気候変動に関する政府間パネル)、等々が属している。

 

彼らの間では、意見の一致が見られる。すなわち、地球温暖化が進行している、それには人間の役割が相当のかかわりを持っている、そして、現在の状況は深刻で、むしろきわどいという形容が適切であり、近いうちに-----おそらくは20~30年以内に-----世界は重要な折り目を踏み越え、温暖化プロセスが急激に加速し、もはや押しとどめることが不可能となって、その結果、社会や経済は甚大な打撃をこうむる、というのだ。
複雑な科学上の問題で、このような意見の一致が見られるのはめったにないことである。

 

これと反対の側に陣取るのは、懐疑論者たちである。その中には、少数の、人から敬意を集めている科学者もふくまれており、そういう科学者は、まだ不明な点が多すぎると警告を発する。それは、つまり、事態は推測されているより悪くはないかもしれないということである。むろん、あるいは、もっと悪いかもしれない。

 

この2者間のもっともらしい論争からはぶかれているのは、懐疑論者の中のはるかに規模の大きいグループに属する人間たちである。彼らは高い敬意を払われている気候科学者で、IPCC の定期報告書をあまりに慎重すぎると考えている。そして、彼らは、われわれにとって不幸なことに、これまでいく度も結局正しいことが判明してきたのである。

 

政府や企業によるプロパガンダ作戦は、米国民の意見に多少の影響力を発揮したように思われる。米国民は世界標準よりも気候変動に懐疑的なのである。しかし、その程度は支配者層を満足させるにはなお至っていない。だからこそ、民間企業部門が米国の教育体制に攻撃をしかけているという仕儀になる。国民が科学的調査の結論に注意を払うという危険な風潮をなんとか抑え込もうというわけなのだ。

 

ルイジアナ州知事のボビー・ジンダル氏は、数週間前に開かれた共和党全国委員会の冬季会合において、党幹部に向けて次のように警鐘を鳴らした。
「われわれは愚かな党であることをやめねばならない …… 。われわれは米国民の知性を見くびるのをつつしまねばならない」、と。

 

RECD 体制の下では、国民が愚昧であることが飛びぬけて重要である。科学や合理性などといったものにまどわされてはならない。それもこれも、経済と政治の支配者層にとっての短期的利益のためである。後は野となれ山となれ。

 

これらの目標の追求は、RECD 下で説かれている原理主義的な市場原理の中に深く根をはっている。もっとも、この原理は、富と権力に仕える強大な体制を維持すべく、きわめて恣意的にしか守られないが。

 

米国政府の採用するこの原理は、おなじみの数々の「市場の非効率性」をかかえている。たとえば、市場取引において、他者への影響を考慮に入れないことなどである。これらの、いわゆる「外部性」がもたらす帰結はゆゆしいものであり得る。それは、目下の金融危機によくあらわれている。危機の一端は、大銀行や投資会社が「システミック・リスク」を顧慮しなかったことに帰せられる。つまり、リスクの高い取引を手がけた場合、システム全体が崩壊する可能性があるのだ。

 

環境破壊の問題となると、ことははるかに深刻である。今現在おろそかにされている「外部性」は人類の運命そのものなのだ。そして、この場合、救済を求めて駆け込める部署などはどこにも存在しない。

 

将来、歴史家は(仮に生き残っていればの話であるが)、この異様な事態の展開が、21世紀初頭に輪郭を明らかにしつつあったのをふり返ることになるだろう。
人類の歴史上初めて、人間はみずからの行為の結果として大災厄をまねく高い可能性に逢着した。自分たち自身の行為が、まっとうな生活を今後も維持できるという見通しをボロボロにしつつあるのだ。

 

これら将来の歴史家たちは気づくことになるだろう。歴史上もっとも裕福で強大な国家が、比類のない優位性を数々そなえながら、起こり得る災害を深刻化することに他を圧して力をそそいでいることに。
一方、自分の子・孫たちがまっとうな暮らしができる状況を維持しようとする努力を主導しているのは、いわゆる「原始的な」社会に属する人々-----「ファースト・ネーションズ」(訳注4)、部族民、土着の人々、先住民、等々と呼ばれる人々-----である。

(訳注4: イヌイットとメティスを除くカナダの先住民族の総称)

 

相当数の先住民を擁し、その影響力が無視できぬ国々は、地球環境の維持の努力の点で、他国を大きく引き離している。先住民を絶滅の危機に追いやっている、あるいはいちじるしく社会の片隅に追いやっている国々は、破滅に向かってまっしぐらである。

 

かくして、エクアドル-----先住民族が全人口中かなりの割合を占める-----は、その潤沢な石油資源をしかるべく地中に眠らせたままにしておけるよう、裕福な国々に支援を乞うているという展開とあいなる。

 

米国とカナダは、対照的に、いぜん化石燃料-----たとえば、カナダのきわめて危険性の高いタール・サンドもふくめて-----を燃やすことにご執心だ。そして、しかも、でき得るかぎり迅速に、余すところなくきれいさっぱり、そうしようとしている。一方で、両国政府は、(ほとんど無意味であるが)「エネルギー自立」の世紀の幕開けという驚異をほこらしげに喧伝している。この途方もない自己破壊への傾注を経て、世界がいかなる様相を呈するかについては一顧もあたえずに。

 

こうした状況は世界の各地で見られる。地球上の至るところで、先住民社会は、彼らが時に「自然の権利」と呼ぶものを守るために奮闘しており、一方で、いわゆる文明化され、文化的洗練をほこる社会は、これをバカバカしいと嘲笑している。

 

以上のいっさいは、合理性なるものが予見する状況とまさしく正反対である。もしその合理性が RECD のフィルターを通った末の、ゆがんだ合理性でないかぎり。


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[その他の訳注・補足など]

■補足・1
前書きでふれた、今回の文章にふくまれる「チョムスキー氏の長年の関心事であるテーマ」について。
それは、たとえば、(順不同で)、

 

1. 資本主義の定義のあいまいさ
チョムスキー氏は really existing capitalist democracy(「現行の資本主義・民主制」。略して RECDと呼ぶ)の欺瞞-----補助金制度、大銀行などに対する救済措置、大企業や富裕層には市場原理が働かない事例、等々-----についてたびたび言及し、それを批判している。
また、同様に、社会主義の定義についても、その定義のあいまいさを指摘している。これについては、本ブログのコレクション・3の[ソビエト連邦社会主義]を参照。

 

2. ジョン・デューイの「産業民主制」その他の考察への関心

 

3. 資本主義と民主制の対立

 

4. 現行の民主制への批判-----民意が反映されていないこと、など

 

5. 権力者層・支配者層にとって、国民が無知蒙昧であることが好都合であること

 

6. 政府や企業によるプロパガンダ

 

7. メディアの歪曲報道・偏向報道

 

8. 上記1の中の、とりわけ、資本主義のいわゆる「市場原理」の恣意的な適用

 

9. 先進国の傲慢と愚行

 

等々、である。

これらのうち、6と7のテーマについては、とりわけ、コレクション・1の[侵攻の「新語法」-----アメリカとソ連]、および、コレクション・7の[「いわゆる国際社会」の犯罪]を参照。

 

■補足・2
原文に登場する creation science は、ご覧の通り、とりあえずウィキペディアなどにしたがい、「創造科学」とし、creationist は「創造科学者」としたが、日本語としては誤解をまねきやすい表現である。だからこそ、まだ定訳とはなっていないもようである。
それぞれ、たとえば、「聖書準拠理論」、「聖書準拠論者」などとした方がわかりやすい。

 

チョムスキー 時事コラム・コレクション・8

 

[戦争にまつわる罪の意識はすべての国に]


原題は
Guilt of War Belongs to All


今回の文章は、日本人にとってはとりわけ印象深い。過去の戦争犯罪に関する謝罪や悔悟の念の表明について言及されている。
一方、現代世界における唯一の超大国であるアメリカは、圧力をかけられる国がないために、それらの問題をまぬがれているのである。

1995年に書かれた文章であるが、現在でも立派に通用する。


原文サイトは
https://chomsky.info/19950730/

 
(例によって、訳出は読みやすさを心がけ、同じ理由で、頻繁に改行をおこなった)


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Guilt of War Belongs to All
戦争にまつわる罪の意識はすべての国に


ノーム・チョムスキー

『オブザーバー』紙 1995年7月30日

 

1995年という今年は、さまざまな記憶を呼び起こす年である。ある人々にとっては、後悔と釈明をもまた引き連れてくる。
第二次大戦の勝利国はこれまで、原子爆弾の投下その他の犯罪行為に関して、いかなる謝罪または悔悟の念の表明もしりぞけてきた。
一方、彼らにとっての「対日勝利の日」である8月15日を間近にして、日本は、その戦争犯罪を十分かつ適切に認めていないとして、くり返したたかれている。

 

原爆投下をめぐる議論には一応の理屈がある。ヒロシマナガサキへの原爆投下は、いかに恐るべきものとはいえ、侵略行為ではなく侵略行為への対処としてのそれであったというわけである。

 

しかしながら、日本を、過去の犯罪行為の謝罪をこばむ、ずば抜けて邪悪な侵略者として描出してみせるのは、日本政府がこれまでに示してきた身振りを無視する行為である。そればかりか、そのような身振りを欧米が示してこなかった点から目をそむけるふるまいである。

 

日本の村山富市首相は、この5月に中国を訪問するとともに、戦後50周年の終戦記念日をむかえた際、「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。~ ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします」と述べた(訳注: いわゆる「村山談話」)。

 

ニューヨーク・タイムズ』紙東京支局のニコラス・クリストフ記者は、先頃、ある世論調査について報道した。
日本人の80パーセントは、日本が侵略または植民地支配した国々の人々に対し政府は十分な補償をおこなっていないと感じている、という結果であった。
また、記事では、2年ほど前、当時の首相が戦争の犠牲者に対し「明確な謝罪」を申し述べたことも伝えている(訳注: 細川護煕首相の所信表明演説(1993年8月23日)を指すと思われる)。

 

しかしながら、記事の後半では、クリストフ記者は、こう危惧の念を表明している。日本は「他のアジアの国々に侵攻し、何百万という人々をあやめたことに関し」十分な謝罪をおこなっていないのではないか、と。
同記者の書いた記事の一つはこう題されている。「日本はなにゆえあの言葉を口にしないのか?」。罪を率直に認めようとしない日本の態度について、一般の困惑を表現したかっこうである。

 

同じような批判は、英国の報道でも見られた。
『デイリー・テレグラフ』紙で国防分野を担当するジョン・キーガン氏はこう問いを発する。「日本はなぜごめんなさいと言わないのか」、と。
ドイツのコール首相とフランスのミッテラン大統領は、和解と友好のしるしとして、そろってヴェルダン(訳注: 第一次世界大戦で独仏両軍が多数の死傷者を出した戦場)を訪れ、無名兵士のために祈った。ドイツはホロコーストの罪を認め、生き延びた人々には補償金を支払った。ところが日本人は、とキーガン氏は不満をもらす。後悔の念を公にすることから「身をよじってのがれてきた」。
また、記事の中では、この6月、日本の国会が「謝罪」という言葉の代わりに、もっとあいまいな「認識」や「反省」という言い回しを使った決議を採択したこと(訳注: いわゆる「戦後50年決議」)にもふれている。

 

公平な視点ということになれば、『ニューヨーク・タイムズ』紙が頼りとなろう。すなわち、クリストフ記者はかく弁じる。
「素直にごめんなさいと言えない国は何も日本だけではない。米国政府はここ半世紀の間、数々の政権を転覆させてきた。アメリカ国民は、たとえば「1812年戦争」(米英戦争)の際のカナダ侵攻、あるいは、1914年と1916年のメキシコへの武力介入の当時、まったく眠れぬ夜をすごしたというわけではなかった。これらは、われわれが『謝罪の言葉を口にする』べき理由についてあれこれ思量する時、心に浮かぶ顕著な事例である」。

 

侵略国が謝罪しなければならないのは、彼らが戦争に負けた場合だけである。いや、その場合でさえ、もろもろの例外が存する。
日本には、第二次大戦に関し、日本よりドイツの方が悔悟の念が強いことを認めたと言われている知識人もいる。しかし、彼らの説くところによれば、ドイツは、隣接する国々が強国であったがゆえに、自分の犯した罪を忘れるわけにはいかなかった。一方、当時の中国や南北朝鮮のような国力の微弱な国は、日本にそのような圧力をかけられる存在ではなかった、と。

 

同じような事情がアメリカ人の才覚についても関係しているのではないか-----こう問うてみる知識人は、この国にはまず見当たらない。
この才覚に、19世紀フランスの著述家アレクシ・ド・トクヴィルは驚異の目をみはった。トクヴィルが目撃したのは「砂漠を越える文明の勝利の行進」、言い換えれば、先住民族に対するすさまじい殲滅戦であり、それは「人間性にかかわる法への全幅の敬意を維持しつつ、…… 並外れた巧妙さで、落ちつき払って、合法的、博愛主義的に、血を流すことなく、道徳の大原則に何一つもとることなくおこなわれた-----と世界には映じた」のであった。

 

また、人種差別主義的な歴史家でもあったセオドア・ルーズベルト大統領は、アメリカの精神を高らかに謳い上げた、4巻から成る自著の『西部征服史』(1890年刊)の中で次のように語っている。
「国としてのわれわれの対インディアン政策には、批判の余地がある。それが示す軟弱さ、長期的展望の欠如、また、時に感傷的人道主義者の政策に傾いたこと、等々。それに、われわれはしばしば実行不可能なことを約束したりした。けれども、意図的な悪事は働かなかった」。

 

上記のキーガン氏によると、日本民族の慣習では、「現在のことであれ過去のことであれ、日本人自身が悪事を働いたとは認めないことになっている。それを認めることこそが悪なのである。日本民族にとっても悪であり、当の日本人自身にとっても悪である」。

 

アメリカは、この2世紀の間、自分より力の弱い敵をたたき潰してきた。米国の風土において「謝罪の言葉を口にする」という考え自体がひどく理解し難いことになっている事実は、この歴史とかかわりがあるのではないか。
しかし、こういう問いを思い浮かべるのは「舞台の袖にひかえている野蛮人」だけである。これは、国家安全保障問題担当の大統領補佐官マクジョージ・バンディ氏が1967年に使ったもので、同氏は、ベトナムにおける米国の聖戦の高邁さを感じ取れない人間を指して、こう述べたのだった。

 

この4月、アメリカがベトナムから軍を撤退させて20周年をむかえるにあたり、数多くのコメント、コラムの類いが書かれた。
しかし、それらには、アジアの人々に「耐え難い苦しみと悲しみをもたらしたことに対し、深い反省の気持ち」を表明した日本政府の言葉を思い起こさせるような文言は見当たらなかった。そのような意識はアメリカ人には無縁なのである。

 

アメリカの武力攻撃によるインドシナ半島での死亡者数は、戦争の死傷者数がけた違いの20世紀の中でも、突出している。
サイゴン陥落の記念日を目前にひかえ、ベトナム政府は犠牲者に関するあらたな推測値を発表した。そして、その数字は一般に妥当と認められている。

 

それによると、200万人もの民間人が命を落とした。その圧倒的多数は南ベトナムに属する。北ベトナムの兵士および南ベトナム解放民族戦線の兵士(米国政府のプロパガンダ用語では「ベトコン」である)の死者は、合わせて110万人である。これに、戦時行方不明兵として30万人が加わる。

 

米国政府は、従属的政権(すなわち「南ベトナム」)の軍の死者を22万5000人と見積もっている。
また、米国が関与し、非関係国(フィンランド)による調査団が「虐殺の時代」と呼んだ、カンボジアの1969年から1978年にかけての同国の死者数は、CIAの推計によると、60万人にのぼる。
それをさらに数千人上まわる死者をラオスは計上した。主に米国の攻撃によるもので、しかも、ベトナムでの戦いとは大略、無関係であった。

 

これらの死者に関して、米国は責任を負う。ちょうど日本が中国における死者に責任を負うように。また、ロシアがアフガニスタンの死者に責任を負うように。
引き金を引いた者は誰であろうと責任を負わなければならない。これは自明の理であって、欧米の知識人は骨の髄から了解している事項である-----自分以外の国に責任を帰せられる場合は。

 

米国人がベトナムの死者数を僅々10万人程度と思い込んでいるのは、米国の教育制度の賜物である。
わずかに「野蛮人」だけが次のような問いを発することができよう。
ドイツや日本あるいはゴルバチョフ以前のソ連に帰せられる犠牲者数に関して、比率的にそれと同等の数字がもし提示されたとしたら、米国人の反応はいかなるものであろうか、また、それはわれわれ自身について何を語ってくれるであろうか、と。

 

最近のソマリアの事例では、米軍司令部はソマリア側の犠牲者数を算定しなかった。米軍撤退を指揮したアンソニー・ジニ海兵隊大将は報道陣に「遺体を数えるつもりはない …… 。(そのことには)さして関心がない」と語っている。

 

しかし、『フォーリン・ポリシー』誌の編集者であるチャールズ・メインズ氏によれば、「米軍により7000~1万人のソマリア人が死亡したとの推計をCIAの職員が内々にもらしている」。一方、米軍兵士の死者は34名である。

 

もちろん、さればと言って、米国人が眠れぬ夜をすごしたわけではなかった。それは、ほとんど米国の歴史に添えられた脚注にすぎない。
米国の歴史は、建国の父祖たちが「ネイティブ・アメリカンというあの不運な人々」を気にかけてきた時代から積み重ねられてきたが、その人々を「われわれは仮借ない、道義にそむく残忍さで滅ぼしつつある」。こう、ジョン・クィンジー・アダムズ大統領(在任期間1825~1829年)は述べた。ただし、アダムズ大統領がこう述べたのは、このふるまいに関する自分自身の貢献が終了してからずっと後のことであった。
19世紀初頭に国務長官の任にあったアダムズは、「議会の承認を得ない、行政府の裁量による戦争」という路線を切り開いた人物であった。この路線は伝統となり、ベトナム戦争に至るのである。

 

一方、イギリスでは、英米軍によるドレスデン空爆に関して、少なくともある程度は真摯な内省が見られた。この空爆ドレスデンを破壊しつくし、何万人もの民間人を犠牲にした。しかし、それ以前にイギリスは独軍から熾烈な攻撃を受けていた。アメリカは「1812年戦争」(米英戦争)以来、そのような攻撃は経験していない。

 

これらと対照的なのは、米軍による東京大空襲から50年となる節目にあたってのワシントン・ポスト紙の記事である。そのタイトルは「日本、過去の役割を見直し-----被害者よりむしろ加害者の面にスポット」というものだった。
(この東京大空襲では、結果があまりに酸鼻をきわめたため、東京はさらなる原爆投下の候補地リストから外されるしまつであった。すでに瓦礫と焼死体の山となっている地にあらたに原爆を投下しても無意味だからである)

 

他のあまたの犯罪行為の場合と同様に、米国では、この東京大空襲の節目における反応も狭量なものであった。
もしそれが戦争に勝つために必要であったなら、まさしくそれはなされなければならなかった-----とまあ、そんな具合である。

 

ベトナムへの武力介入の主導的政策立案者であったロバート・マクナマラ氏は先頃、『回顧録』を上梓したが、その中には次のような文言がある。
1967年に至ると「心理的圧迫と緊張」があまりにすさまじく、時に睡眠薬を利用せざるを得なかった、と。

 

米国民の心の平安にとって幸いなことに、近年の歴史的事件の節目にあたり、「眠れぬ夜」を惹起するような事由はほかにたいしてないのである。


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[その他の訳注・補足など]

■補足・1

文中の

「公平な視点ということになれば、『ニューヨーク・タイムズ』紙が頼りとなろう。」

について。

 

チョムスキー氏が昔からたびたび『ニューヨーク・タイムズ』紙の偏向その他を指弾してきたことを思い起こせば、これには当然、皮肉がこめられていると考えてよかろう。

 

また、「米国の歴史は、建国の父祖たちが『ネイティブ・アメリカンというあの不運な人々』を気にかけてきた時代から積み重ねられてきたが、~ 」の「気にかけてきた」も、むろん、皮肉をこめての表現である。

 

その他、文章のあちこちに、チョムスキー氏お得意の皮肉な言い回しが見られる。これについては、以前の「その他の訳注・補足など」でもふれた。

 

■補足・2

この文章で、チョムスキー氏は、フランスの思想家トクヴィルの言葉を引用して、米国が早くからプロパガンダ、イメージ戦略、等に長けていたことを示唆している。
同氏が、太平洋戦争前後も、日本に関するこの種のプロパガンダに敏感であり、それにあざむかれなかったことは、「コレクション・1(侵攻の「新語法」-----アメリカとソ連)」の「補足・2」を参照。

 

■補足・3

文中の

「(この東京大空襲では、結果があまりに酸鼻をきわめたため、東京はさらなる原爆投下の候補地リストから外されるしまつであった。すでに瓦礫と焼死体の山となっている地にあらたに原爆を投下しても無意味だからである)」

については、米国空軍の公式記録文書(太平洋戦略航空軍を指揮したカール・スパーツ大将の証言など)に基づいていると思われる。「コレクション・6(恐れの活用)」の中段の文章で、そう明らかにされている。

 

■補足・4

米国は自分の犯した悪事、犯罪行為、加害者などの面を直視しようとしないが、世界で唯一の超大国であるがゆえに、そうした面をきびしく追及されずに済んでいる。それはいわば「強国の特権」であり、このテーマは「コレクション・5(強国の特権)」でもあつかわれている。

 

第二次大戦以降の歴代米国政権による犯罪行為に関しては、「コレクション・番外編・1(もしニュルンベルク諸原則を適用したら…)」の本文およびその「その他の訳注・補足など」を参照。

 

今回の文章にもうかがえるように、チョムスキー氏は現代米国の悪と犯罪行為を真っ正面から見据える。いわゆる「ダブルスタンダード」をゆるさず、米国が他国に適用する基準を米国自身にも適用する。氏が「現代アメリカの良心」と呼ばれるゆえんである。

 

 

チョムスキー 時事コラム・コレクション・7

 

[「いわゆる国際社会」の犯罪]


原題は
The Crimes of ‘Intcom’


今回の文章は、米国政府やメディアなどが使用する「国際社会」なる言葉の欺瞞性を衝くもの。
往々にして、この「国際社会」とは、「米国とその同調国」を指すにすぎない。


原文サイトは
https://chomsky.info/200209__/

 
(例によって、訳出は読みやすさを心がけ、同じ理由で、頻繁に改行をおこなった)


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The Crimes of ‘Intcom’
「いわゆる国際社会」の犯罪


ノーム・チョムスキー
『フォリン・ポリシー』誌 2002年9月号

 

哲学者ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインの著作を読んだ人は、ある語句の意味を決定するにあたって、その使い方に注目するようになる。
このウィトゲンシュタインの導きにしたがうと、われわれは決まって気づかされる-----政治を論ずる際の言葉が、文字通りの意味とはまるっきり異なる、教理的な意味で用いられていることに。
たとえば、「テロリズム」なる言葉は公的な定義に沿って使われてはいない。それは、「彼ら」が「われわれ」および「われわれの同盟国」に対しておこなったテロに限定されている。
同じような慣習は「戦争犯罪」や「(自国)防衛」、「和平交渉」等々、その他おなじみの用語にも当てはまる。

 

このような言葉の一つに「国際社会」がある。
その文字通りの意味はそこそこ明瞭であろう。すなわち、国連総会あるいは国連加盟国の大多数というのがまともな候補としてまっ先に心に浮かぶ。
ところが、この言葉は決まって狭い意味で-----すなわち「米国とその同調国」を指して-----使われている。
(以下、私は、この狭い意味での使い方の方を「いわゆる国際社会」と表現することにしよう)
このような次第であるから、米国が国際社会を拒絶するなどということは論理的に不可能なのである。
こうした流儀は、目下の関心事である問題をいくつか見渡してみても、十分すぎるほど明らかである。

 

メディアでの報道を人は目にしないが、米国は4半世紀もの間、サウジアラビアの提案にほぼ則る形でパレスチナ紛争の外交的解決をめざす国際社会の努力をじゃま立てしてきた。
サウジアラビアの提案は、アラブ連盟が2002年3月に支持を表明しており、歴史的な機会を提供するものと広く称賛されている。ただし、その実現には、アラブ諸国イスラエル国の存立を承認することが究極的な鍵であった。
実際には、アラブ諸国は(パレスチナ解放機構とともに)、1976年1月以来ずっとくり返し、それを認めてきたのである。すなわち、1976年1月、アラブ諸国は他の国々に和して国連安保理決議を支持した。それは、政治的解決をめざし、占領地域からのイスラエル軍の撤退を土台として、「中東のすべての国の主権、領土保全、政治的独立、また、国際的に承認された安定した国境の中で平和裏に暮らす権利を……保証するための……適切な取り決め」をともなうものであった。実質上、これは、パレスチナ国家を含めるべく拡大された国連安保理決議242号に等しい。
しかし、米国はこの決議案に拒否権を発動した。これ以降も、米国政府は同様の取り組みを阻み続けた。一方、米国民の大半は、サウジアラビアの提案でもくり返されたこの政治的解決の道筋に対し、支持を表明している。
ところが、これらの事実は、米国政府が国際社会もしくは国民の意見を拒絶しているという解釈にはならないのである。現行の慣習の下では、それはあり得ない。なぜなら、定義上、米国政府は「いわゆる国際社会」を拒絶するなど不可能だからである。そしてまた、民主制国家として、米国政府は必然的に、国民の意見に耳を傾けているとされる。

 

同様にメディアで取り上げられていないのは、米国がテロをめぐり、国際社会にあらがっているという事実である。
1987年12月の重大な国連総会決議の折り、米国は実質上、単独で反対票を投じた(ほかに反対票を投じたのはイスラエル。棄権国はホンジュラスのみ)。この国連決議は、テロというこの近代の疾病をきびしく非難し、すべての国にその根絶を求めたものだった。
反対の理由は示唆に富み、今日との関連性はきわめて大きい。
が、これらの事情はすべて歴史からぬぐい去られている-----「いわゆる国際社会」が(本来の意味での)国際社会にたてつく場合には、これがいつものことなのだ。

 

当時、米国政府は、平和的な解決を中米にもたらすための中南米諸国の努力を弱体化しようとしていた。国際司法裁判所は、米国の国際的なテロ行為を非難し、米国にそのような犯罪行為の停止を命じていた(訳注: いわゆる「ニカラグア判決」)。
これに対し、米国政府は活動の強化・拡大で応じた。
例によって、このような過去の経緯は、これ以降の似たような事例と同様、テロに対する「いわゆる国際社会」の態度につゆほどの影響もおよぼさなかった。

 

時には「いわゆる国際社会」の、国際社会との乖離が目をひくこともあった。そして、国際社会の側のこのような精神的病弊に対して、困惑しながらメスが入れられた(下記訳注・1を参照)。
リチャード・バーンスタイン氏による、『ニューヨーク・タイムズ・マガジン』1984年1月号の「国連対米国」と題する文章は、そのような試みの好例である(「米国対国連」という題ではないことに注意されたい)。(下記訳注・2を参照)
国際社会の方がずれている証拠としては、さらに以下のような事実が挙げられよう(下記訳注・3を参照)。
国際連合発足の当初-----すなわち、米国の意向が法に等しかった時代-----を除外すると、国連安保理決議に拒否権を行使した国では、米国が他国をはるかにひき離してトップである。二番手は英国、三番手がずっと間隔をおいてソビエト連邦(後にロシア)であった。国連総会決議の記録においても、似たような展開が見てとれる。
しかし、国際社会をめぐる議論はなんらの決着にも至らなかった。

 

現代の大きなテーマとしてかかげられるのは、「いわゆる国際社会」が1990年代に起こったと称する規範的革命である。すなわち、「いわゆる国際社会」は、恐るべき犯罪行為に終止符を打つべく、ついに人道的介入という義務を引き受けるに至ったというのだ。
ところが、国際社会の方が「人道的介入の『権利』なるものを拒否している」という事実は、決してメディアで報じられない。
また、あらたな装いを借りた昔ながらの帝国主義と感じられる、他の強圧的なやり方-----とりわけ、欧米の教義上では「グローバリゼーション」と称される、経済的統合の一形態など-----への国際社会の拒絶反応についても、やはり取り上げられない。
こうした国際社会の態度は、2000年4月の「南サミット」の宣言文で詳細に述べられている。このサミットは、発展途上国133カ国が参加する「グループ77」(以前の「非同盟諸国」が中核となって発足)による初の首脳会議である。この「グループ77」参加国は総計で世界人口の約80パーセントを占めることになる。
しかし、この宣言は、大手メディアでは侮蔑的な言葉を含みつつ多少言及されたにすぎなかった。

 

1990年代は人道的介入の時代と広く考えられている-----1970年代ではなく。ところが、1970年代の方が、途方もない犯罪を終息に導いた2つのもっとも重要な介入の事例によって、他の時代と截然と区別される。すなわち、東パキスタンに対するインドの介入、および、カンボジアに対するベトナムの介入である。
なぜ1970年代が人道的介入の時代と見なされないのか、その理由ははっきりしている。人道的介入をおこなったのが「いわゆる国際社会」ではないからだ。
それどころか、これらの人道的介入に「いわゆる国際社会」は強く反対した。経済制裁を課し、インドに対しては威嚇的なふるまいに出た。ポル・ポト政権の残虐行為がピークに達しつつある頃、それを止めようとした廉で、米国はベトナムをきびしく罰した。
これと対照的に、米国が主導したセルビア空爆は、世界があらたに蒙をひらかれためざましい企てと見なされている。インドや中国その他、世界の相当数の国々がそれに激しく反対したにもかかわらず。
この人道的介入をこまかく検証するのは別の機会にゆずるとしよう。
もっとも、一言すると、それは「いわゆる国際社会」の「威信」をたもつため、そしてまたイメージ戦略の一環として実施されたものであり、残虐行為を終了させるという建て前で始められたが、それを助長する結果に終わった企てだった。
また、「いわゆる国際社会」が同じような残虐行為、いや、もっとひどい残虐行為に長年関与し、それから手を引くのを拒んだこと、そしてそれが「いわゆる国際社会」の実際の価値基準について暗示することも、ここではこれ以上論じない。

 

上記のような話題は、「開明的」と自称する国々の責務に関する豊富な文献を渉猟しても、見出すことがむずかしい。
ところが、他国の犯罪行為へのしかるべき対応をさまたげる「いわゆる国際社会」の文化的欠陥について考究する文献は、それ自体で一つのジャンルを形成し、高い敬意をはらわれている。
確かにそれは興味深いテーマではある。しかし、多少でも筋の通った観点からすれば、それよりはるか上方に位置づけられておかしくない別のテーマ、問われることがないままのテーマ、がある。
すなわち、「なぜ『いわゆる国際社会』は、直接、または、凶悪な同盟国への多大な支援を通じて、恐るべき犯罪行為に手を染め続けるのか」、である。

 

このような調子でいくらでも書き続けることができる。が、最後に一つだけ指摘しておきたいのは、上記のようなふるまいは「いわゆる国際社会」の創意発明にかかるものではないということである。歴史的にありふれたものと言ってもよい。歴史には、思い起こすのもいまわしい似たような行状がいくらもころがっている。

 

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[その他の訳注・補足など]

■その他の訳注・1

ここでの「精神的病弊」は、チョムスキー氏のいつもの皮肉を込めた表現である。
チョムスキー氏は、ここでは、わざと米国政府の視点から表現してみせている。米国政府からすれば、おかしいのは米国ではなくて国際社会の方なのである。

 

■その他の訳注・2

「国連対米国」の原文は The U.N. versus the U.S. である。
この A versus B(A対B)は、AとBが等価であるのが一般であるが、A against B と書き換えられる場合もあり、その場合は、文法的に against B が修飾語句として A にかかることになる。おそらく、そのような事情もあり、A により比重がかかっているニュアンスが生じやすい。
このようなニュアンスの違いがここでは前提になっていると考えられる。
文中の The U.N. versus the U.S.(国連対米国)も The U.N. (国連)の方により焦点が当たっていて、「問題があるのは The U.N.(国連)だ」というニュアンスが生じていると思われる。


■その他の訳注・3

上の訳注・1と同様、ここも皮肉を込めた表現。
米国政府からすれば「ずれている」のは国際社会の方ということになる。
普通に表現すれば「米国がずれている証拠としては~」である。

 

なお、チョムスキー氏の好む皮肉・反語的表現については、前回のブログ[恐れの活用]の「その他の訳注・1」でもふれた。
米国政府あるいは支配者層、権力者層の視点からの言い回しを用いるのは、チョムスキー氏お気に入りの文章術である。

 

■補足・1
文中で言及されている「1976年1月」の「国連安保理決議」とは、「安保理中東討議」と呼ばれるものであるらしい。

ネット上の説明を拝借すると、

安保理中東討議は、1967年11月の和平決議をはじめ、アラブ・イスラエル戦争収拾に主要な役割を演じてきているが、76年1月12日からの討議で、PLO代表に国連加盟国と同じ資格で参加することを認める画期的進展がみられた。会議では、非同盟6力国が、パレスチナ人の国家樹立権、難民の帰還権、イスラエルの全占領地からの撤退という強い主張を、イスラエルの存在と平和的存在の権利の保障とバランスをとりながら謳った決議案を提出して注目された。決議案は賛成9をえながら、アメリカの拒否権で流産させられたが、全占領地からの撤退とパレスチナ人の権利にたいする国際世論を高めるのに貢献した。」
(月刊基礎知識 from 現代用語の基礎知識
https://www.jiyu.co.jp/GN/cdv/backnumber/200303/topics02/topic02_07.html

 とある。

 

それにしても、この「安保理中東討議」は、ネット検索で2件しか出てこない(そして、結局、この2つは同じサイトである)。
ネットの情報量の膨大さを考えると、驚くべき少なさである。
米国政府に都合の悪い報道や情報は、時にネットでもこのように極端に少ない。

 

■補足・2
文中の、

「1987年12月の重大な国連総会決議の折り、米国は実質上、単独で反対票を投じた(ほかに反対票を投じたのはイスラエル。棄権国はホンジュラスのみ)。」

 について。

 

この1987年12月の国連総会決議、すなわち、「国連総会決議42/159」も、上の「安保理中東討議」と同様に、ネットには報道や情報がほとんど見当たらない。

 

これらの事実をメディアが取り上げないというチョムスキー氏の指摘の正当性が、これによってあらためて浮き彫りになる。

 

■補足・3
文中の

「しかし、国際社会をめぐる議論はなんらの決着にも至らなかった。」

について。

 

もちろん、そのまま議論を深めれば、おかしい・「ずれている」のは米国の方、理があるのは国際社会の方であることがはっきりしてしまうからである。

 

■補足・4
文中の

「この人道的介入をこまかく検証するのは別の機会にゆずるとしよう。」

について。

 

チョムスキー氏が「人道的介入」を真っ正面からくわしく論じた著作で、邦訳されているものは

・『アメリカの「人道的」軍事主義―コソボの教訓』
(益岡賢、大野裕、ステファニー・クープ訳、現代企画室、2002年刊)

・『新世代は一線を画す―コソボ東ティモール・西欧的スタンダード』
(角田史幸、田中人訳、こぶし書房、2003年刊) 

がある。

 

■補足・5
文中の

「また、「いわゆる国際社会」が同じような残虐行為、いや、もっとひどい残虐行為に長年関与し、それから手を引くのを拒んだこと、そしてそれが「いわゆる国際社会」の実際の価値基準について暗示することも、ここではこれ以上論じない。」

について。

 

この「同じような残虐行為、いや、もっとひどい残虐行為に長年関与し、それから手を引くのを拒んだこと」とは、チョムスキー氏の著作になじんでいる人ならばすぐにわかるであろうが、たとえば、米国がインドネシア政府による東ティモール侵攻や南アフリカ共和国アンゴラ侵攻等々を長年にわたって支持し続けたことなどを指すであろう。

本ブログの範囲で言うと、

インドネシアによる東ティモール侵攻については、」コレクション・4」の[ある島国が血を流したまま横たわる]を参照。

南アフリカ共和国によるアンゴラ侵攻については、「コレクション・5」の[強国の特権]を参照。

・米国の歴代政権が犯した数々の戦争犯罪については、「コレクション・番外編・1」の[もしニュルンベルク諸原則を適用したら…]を参照。

 

■補足・6
上記の文章の後半、

「そしてそれが「いわゆる国際社会」の実際の価値基準について暗示すること」

 について。

 

これは、言い換えれば、

「そしてそれが「いわゆる国際社会」(米国とその同調国)が何にもっとも価値を置いているか、何を優先事項としているかを暗に示すもの」ぐらいの意味であろう。

 

すなわち、具体的には、米国がインドネシア南アフリカ共和国の侵攻その他を支援し続けたことは、「自由」や「民主主義」、「人権」等々よりも「米国の覇権」、「資源掌握」、「兵器売却益」などを重視したことを示唆している、ということである。

 

これについては、とりわけ、「コレクション・4」の[ある島国が血を流したまま横たわる]と「コレクション・2」の[そりゃ帝国主義だ、ボケ!]を参照。

 

チョムスキー 時事コラム・コレクション・6

 

[恐れの活用]


原題は
The Manipulation of Fear


今回の文章は、いろいろと含みの多い一文である。コラムと言うよりは、さまざまな考察をはらんだエッセイと呼ぶべきか。
タイトルが示唆するテーマは、為政者・権力者が一般大衆を支配するにあたって他国に対する恐れ・脅威感を利用するという事情である。

 

しかし、これ以外にも、この文章では、チョムスキー氏の長年の関心事であるさまざまなテーマが含まれている。すなわち、政府や大手メディアのプロパガンダ、知識人の責任、連合国側の戦争責任、人種差別的感情、米国の拡張主義・帝国主義、等々。

 

日本人としての観点から言えば、現代の米英政権の依拠する「予防的自衛」理論が、日本の真珠湾攻撃を引き合いにして、間接的に批判されている箇所が非常に興味をそそる。


原文サイトは
https://chomsky.info/20050716/

 
(例によって、訳出は読みやすさを心がけ、同じ理由で、頻繁に改行をおこなった)


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The Manipulation of Fear
恐れの活用


ノーム・チョムスキー
『テヘルカ』誌 2005年7月16日

 

国民を律するべく、権力者側が恐れの感情を利用することは、流血や苦難の長く悲惨な航跡を歴史の上にとどめてきた。この点を無視するのは、みずから危険をまねくことである。近年の歴史においても、数々のおぞましい実例にこと欠かない。

 

20世紀半ばにわれわれは、おそらくモンゴル帝国の侵攻以来、もっとも残虐な犯罪行為を目の当たりにした。それをおこなったのは、西欧文明がその輝きを最高度に放っていた国であった。
ドイツは科学、美術、文学、人文系学問、その他歴史的な達成をなし遂げた分野の中心地であり、先導国だったのだ。第一次世界大戦の前、すなわち、欧米で「反ドイツ」の熱狂が鼓舞される以前は、米国の政治学者らも、ドイツを民主主義国のお手本であり、他の欧米諸国が見ならうべき存在と考えていた。
ところが、1930年代半ばになると、ドイツは2、3年のうちに、歴史上ほかにほとんど類のない野蛮国に属するとされてしまった。さらにおどろくべきことには、もっとも高い教育を受けた、品のよい層の人々でさえ、こういう見方に与したのである。

 

ヴィクトール・クレンペラー氏(訳注: ドイツの言語学者)は、ナチ政権下のユダヤ人としての生活を日記につづった(ほとんど奇跡に近い経緯で毒ガス室行きをまぬがれている)。
その驚嘆すべき日記の一節で、同氏は、友人のあるドイツ人教授にふれ、以下のように書き記している。それまで大いに敬服していたが、結局、ナチの側についた人物である。
「もし、ある日、状況が逆転し、敗者の運命が自分の手にゆだねられたとしたら、私は一般市民の全員を無罪放免とするだろう。いや、指導者らの何人かさえそうするだろう。結局のところ、彼らはたぶんりっぱな志を抱いていたのだろうし、自分たちのやっていることがよくわかっていなかった。だが、知識人には一人残らず首をくくってもらおう。あの教授連中はとりわけ、他の人間より1メートルほど高く吊るそう。衛生の観点からどうにもならなくなるまで、街灯柱に吊るしっぱなしにするのだ」。

 

クレンペラー氏の反応はそれほど不自然ではない。それは、歴史の大方にも当てはめることができる。

 

複雑な歴史上の出来事には、つねにさまざまな原因が考えられる。このドイツの件に関して非常に重要な要素は、恐れ・脅威感のたくみな活用である。
ドイツの「一般市民」は、世界支配をたくらむ「ユダヤ人とボルシェビキによる陰謀」を恐れるよう駆り立てられた。ドイツ民族はその存続の危機に直面したのである。したがって、「自己防衛」のために過激な手段が講じられねばならなかった。高名な知識人たちは通常の垣根をこえるふるまいに出た。

 

ナチの暗雲がドイツ全土をおおいつつある1935年に、マルティン・ハイデッガーは、祖国を世界で「もっとも危機に瀕した」国と形容した。文明そのものを攻撃する「巨大なペンチ」にドイツは締め上げられている。そのもっとも粗野な形態はロシアとアメリカが体現し、先導している、と。

ドイツは、この巨大で野蛮な力の最大の被害者であるばかりではない。「諸国中、もっとも形而上学的な国」であるドイツは、この力への抵抗運動を主導すべき責務がある。「西洋世界の中核を占める」ドイツは、「古典期ギリシア」の偉大な遺産を「壊滅」から守らねばならない。その際、頼りとするのは、「歴史的にずっとその中核から展開されてきた精神的活力」である。
その「精神的活力」は、ハイデッガーがこれらの言葉を述べた頃には、十分すぎるほど明らかな形で展開していた。ハイデッガーおよび他の主流知識人たちは、上のような言説にずっと忠実であり続けた。

 

虐殺と殲滅の発作は、人類を悲惨な最期にみちびく可能性がきわめて高い兵器を使ったからといって、終息したわけではなかった。
また、われわれが銘記すべきは、これら人類を絶滅にみちびく可能性のある兵器を創り出したのは、近代文明における、もっとも怜悧で善良な、高度な教育を受けた人間たちであったことである。
彼らは、他と隔絶した状態で研究し、自分たちが取り組んでいる課題の壮麗さに心をうばわれ、結果がもたらすものについては、ほとんど気に留めなかったように思われる。核兵器に対する科学者たちの真摯な抗議行動は、シカゴ大学の研究室で始まったが、それは、原爆製造における彼らの役割が終了してからのことであった。ニューメキシコ州ロス・アラモスでは、原爆製造の工程は停止することなく、結局、あの悲惨な最終幕をむかえるに至った。
もっとも、正確に言えば、最終幕ではなかったのである。

 

米国空軍の公式記録文書には、以下の事実が記されている。
長崎に原爆が投下され、日本の無条件降伏が確実と見られた時期、米陸軍航空軍司令官のハップ・アーノルド大将は「可能なかぎり壮大なフィナーレ」を欲した、と。
それは、防御する術をもたない日本の都市への航空機1000機による白昼爆撃である。その最後発の爆撃機が基地に帰還したのは、ちょうど無条件降伏への同意(訳注: いわゆる「ポツダム宣言の受諾」)が公式に伝えられた頃であった。
また、太平洋戦略航空軍を指揮したカール・スパーツ大将は、3発目の原爆が東京に落とされることを壮大なフィナーレとして望んでいた。
しかし、説得されて、この案を取り下げた。東京は「貧相な標的」だったからである。3月の入念、巧緻な空襲作戦によってすでに焦土と化していたのだ。
この空襲により約10万人の焼死者が出たと考えられている。歴史上、まれに見る凶悪な犯罪である。

 

これらの事実は、戦争犯罪法廷では考慮されていない。また、大方は歴史から除外されている。現在では、市民運動家や専門家を除いて、これらの事実を知っている人間はごく少ない。
あの当時、これらの犯罪行為は、自国防衛という合法的なふるまいとして堂々と称賛された。邪悪な敵、日本は、米国の植民地であるハワイやフィリピンの軍事基地を爆撃したことで、究極の悪行のレベルに至ったと見なされたのである。

 

おそらく以下の点は留意するに値するであろう。
1941年12月の日本の真珠湾攻撃(「屈辱の日として記憶にとどめられるであろう」とルーズベルト大統領がおごそかに宣した)は、「予防的自衛」(訳注: 原語は anticipatory self-defence)の理論にしたがえば、十分に正当性を主張できる、と。
(この「予防的自衛」理論は、今日の自称「開明的な国」、すなわち米国とそのパートナーである英国、の指導者たちの間では、広く支持されている)
当時の日本の指導者たちは、「空飛ぶ要塞」と呼ばれるB-17爆撃機ボーイング社の製造ラインから次々と生み出されているのを知っていた。また、米国でどのような論が展開しているかについてもまちがいなく承知していた。つまり、「殲滅戦」において木造建築物主体の日本の都市を焼き払うべく、いかにB-17爆撃機を用いるべきかが論じられていた。ハワイやフィリピンの基地から飛び立たせ、「竹で建てられた膨大な数のアリ塚への火炎攻撃により、大日本帝国の産業の心臓部を焼きつくすこと」が、そのねらいであった。この表現は、米陸軍航空隊の将校であったクレア・リー・シェンノート氏が、1940年にルーズベルト大統領に進言した際の言葉である。この案を、大統領は「手放しで喜んだ」。
明らかに、これらは、ハワイやフィリピンの軍事基地を爆撃する強力な正当事由となり得る。それは、ブッシュ、ブレア両人とそのお仲間たちが「先制攻撃戦争」を敢行するためにひねり出した言説、そして、明確な意見を述べる人々の大半が戦術的な観点から留保を付しつつ受け入れてきた言説、それらよりもはるかに強力な正当事由である。

 

しかし、この比較は不適切なのである。「竹で建てられた膨大な数のアリ塚」に住まう人間たちは、恐れや脅威といった感情を持つに値しないというわけなのだ。
このような感情や意識は限定的な特権であって、その特権が付与されるのは、チャーチルの言葉によれば、「自分の住まいで心安らかに暮らしている裕福な人間たち」、「満ち足りた国々」に対してである。
かかる存在は「自分が今所有しているもののほかは望まない」し、また、それゆえに、「世界政府をまかせなければならぬ」存在である-----もし、平和というものがあり得るとすれば。
もっとも、それはある種の平和にすぎず、その平和の下では、裕福な人間たちは恐れや脅威という感情をまぬがれていなければならない。

 

「裕福な人間たち」がどれほど恐れ・脅威という感情から隔離されていなければならぬか-----この問いは、権力者がひねり出した「予防的自衛」なる新教義を考察する著名な研究者によって、鮮やかに明かされている。
歴史面での考察もあわせ持って、もっとも重要な貢献をはたしたのは、当代一流の歴史学者でイェール大学教授をつとめるジョン・ルイス・ギャディス氏である。
同氏は、ブッシュ大統領の教義の淵源を、同大統領の敬慕する、一流の知識人であり卓越した戦略家であるジョン・クインシー・アダムズに見出す。
ニューヨーク・タイムズ紙の表現を借りるならば、「テロと戦うためのブッシュ大統領の対応の大枠は、ジョン・クインシー・アダムズウッドロー・ウィルソンの崇高で理想主義的な伝統に根ざしていることを、ギャディス教授は示した」。

 

ウッドロー・ウィルソンの恥ずべき功績については今は措き、「崇高で理想主義的な伝統」の淵源の方を、ここでは取り上げたい。
その伝統を打ち立てたのはジョン・クインシー・アダムズであった。彼は、有名な政府文書の中で、1818年の第一次セミノール戦争におけるアンドリュー・ジャクソンのフロリダ占領を正当化したのである。
当該の戦争は自己防衛として正当化される、とアダムズは主張した。ギャディス教授は、動機が正当な国家安全保障上の懸念であることを認める。教授の見解によれば、英国軍が1814年に「ワシントン焼き討ち」をおこなった後、米国の指導者らは、「支配地拡大が国家安全保障への道」であると了解し、その線にそって、フロリダを侵略・併合したのであった。
この教義は、今やブッシュ大統領によって、全世界を対象とするまでに拡張されたのである、とギャディス教授はいみじくも述べる。

 

教授は、しかるべき学術文献からあれこれ引用している。とりわけ、歴史学者のウィリアム・アール・ウィークス氏のものから。ところが、教授の文章では、それら文献の叙述から省かれている部分がある。われわれは、目下の教義のさまざまな先例、また、現在の共通認識について、ギャディス教授の省いた部分に目を向けることで、多くの示唆を得ることができる。
ウィークス氏は、細部までめざましい鮮やかさで、ジャクソンのおこなったこと-----「第一次セミノール戦争として知られる、殺戮と略奪の実演興行」でおこなったこと-----を描出してくれる。それは、1814年以前からずっと進行中であった、「米国南東部から先住民族を駆逐もしくは殲滅する」という彼の企てにおける、ほんの一階梯にすぎなかった。
フロリダが問題とされたのは、膨張するアメリカ帝国にまだ繰り入れられていないから、そして、「ジャクソンの『怒り』や奴隷制度から逃れようとするインディアンと逃亡奴隷の避難所」となっていたから、であった。

 

確かにインディアン側からの攻撃はあった。ジャクソンとアダムズはそれを口実に利用したのである。
米軍は、セミノール族を彼らの土地から追い出し、幾人かを殺害し、村を焼き払った。セミノール族は、これに対し、米軍指揮下の補給船を襲うことで報復した。ジャクソンは、もっけの幸いとばかりに、「テロ、破壊、威嚇からなる一大軍事作戦を開始した」。村を壊滅させるだけでなく、「セミノール族を飢餓に追いやる周到な試みの一環として、食料源も焼尽した。彼らは『神の怒り』ならぬ『ジャクソンの怒り』を逃れんとして沼沢地に隠れた」。
こうした事態がくり返され、やがてアダムズの、あの有名な政府文書に至る。それは、ジャクソンの、正当な理由のない侵略にお墨つきをあたえた。「おぞましい暴力と流血を土台として」、フロリダに「アメリカの支配権」を確立するための侵略に。

 

上記の引用部分は、スペイン大使の言葉である。ウィークス氏は、「痛切なまでに的確な描写」と評している。
アダムズは「議会と国民の双方に対し、米国の外交政策の目標と実際のふるまいに関して、意図的に歪曲し、擬装し、嘘をついた」-----こう、ウィークス氏は述べる。自分の標榜する道徳原則をあからさまに踏みにじり、「インディアンの排除と奴隷制度を暗に擁護した」、と。
ジャクソンとアダムズの犯罪は「(セミノール族に対する)殲滅戦の第二幕の発端にすぎなかった」。生き残った者は西部に落ちのび、結局、後に同じ運命をたどることになった。「そうでなければ、フロリダで殺されるか、そのうっそうとした沼沢地に隠れ住むことを余儀なくされるかどちらかであった」。
今日では、とウィークス氏は締めくくる。「セミノール族は、一般国民の意識の中では、フロリダ州立大学のマスコットとしてとどまっているにすぎない」。これは、典型的で教訓的な事例である。

 

煎じつめれば、アダムズらの言説の枠組みは3つの柱からなっている(ウィークス氏)。
すなわち、「アメリカが独自の道徳的美徳を持っているとの想定」、みずからの標榜する理想と「米国式生活様式」の普及を通して「世界を救うことが米国の使命だとする主張」、米国の「神によって定められた運命」に対する信仰、である。
この宗教的な枠組みは、筋の通った議論をさまたげる。また、政策課題を善か悪かの二者択一に引き下げてしまう(これにより、権力者層・支配者層にとっての脅威である民主主義は力を削がれてしまう)。批判者は時に「反米」として一顧だにされない。これは、全体主義の表現集から採られた、興味深い考え方である。そして、一般国民は、権力の傘の下で身をちぢこまらせなければならない-----自分の生と運命が迫りくる脅威にさらされているとおびえながら……。

 

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[その他の訳注・補足など]

■その他の訳注・1
訳文中の

「批判者は時に「反米」として一顧だにされない。これは、全体主義の表現集から採られた、興味深い考え方である」

について。

 

ここでの「興味深い考え方である」とは、チョムスキー氏のいつもの皮肉を込めた表現である。「興味深い」とは、「普通ではない」という意味で「興味深い」のである。
ここは、ストレートに表現すれば、「おかしい考え方」、「不適切な考え方」ということになるであろう。

 

政府の方針、施策などに問題があれば批判する、異を唱えるのは民主制下では普通のことである。民主主義の基本であると言ってよい。それを許さないのは全体主義にほかならない。

 

また、もっと前の「しかし、この比較は不適切なのである。~」の部分も皮肉・反語である。ここでは、権力者・支配者たちの思考を代わって表現してみせているにすぎない。

 

チョムスキー氏の文章には、このように、皮肉・反語や含みが多い。今回の文章でも、これ以外にあちこち見出されるが、煩をきらって、以上の点だけにとどめておく。

 

■補足・1
前書きでふれた、チョムスキー氏の長年の関心事の、とりわけ「政府や大手メディアのプロパガンダ」については、コレクション・1の末尾訳注の「補足・2」を参照。

 

また、「連合国側の戦争責任」、ことに日本を裁いた「東京裁判」などに関するチョムスキー氏の考え方については、コレクションの「番外編・1」を参照。

 

 

チョムスキー 時事コラム・コレクション・5

 

[強国の特権]


原題は
Prerogatives of Power


内容はタイトルの通り。
強国は自分に不都合な事実を無視するし、自分に都合のいいように歴史を強引に書き換えようとする。


原文サイトは
https://chomsky.info/20140205-2/

 
(例によって、訳出は読みやすさを心がけ、同じ理由で、頻繁に改行をおこなった)


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Prerogatives of Power
強国の特権


ノーム・チョムスキー

『トゥルースアウト』 2014年2月5日

 

2013年もそろそろ終わろうとしている今、英BBCがWIN・ギャラップ・インターナショナルによる国際世論調査の結果について報じている。その調査の問いとは、
「現在、世界の平和に対する最大の脅威となっているのはどこの国だと思いますか?」
である。

 

回答では、かなりの差をつけてアメリカがトップであった。2位のパキスタンの得票数の約3倍である。

 

ところが、目下、米国の学術界とメディアで議論されているのはイランの封じ込めは可能かどうか、もしくは、国家安全保障上、NSA国家安全保障局)の大規模な監視システムは必要かどうか、である。

 

上の世論調査の結果を考慮するならば、もっと適切な議論テーマが考えられそうである。すなわち、アメリカの封じ込めは可能かどうか、そして、他国は、アメリカの脅威に直面した場合、その安全保障を確保できるかどうか、等々。

 

世界の一部の地域では、世界平和に対する脅威の点で、米国ははるかに突出した地位を占めると認識されている。とりわけ中東においてはそうである。その地の圧倒的多数の人々が、米国とその親密な同盟国イスラエルを、自分たちの直面するもっとも大きな脅威と見なしているのだ。この両国がたびたび引き合いに出すイランではなく。

 

中南米の人々なら、「キューバ独立の父」といわれるホセ・マルティ氏の洞察に異を唱えることはまずないであろう。1894年に同氏はこう書いた。

アメリカから離れれば離れるほど、[中央・南]アメリカの人々はより自由に、より豊かになるだろう」、と。

 

マルティ氏の洞察の正しさは、最近、またしても裏づけられた。
国連ラテンアメリカ・カリブ経済委員会が貧困問題を調査し、先月、その結果を発表した。

 

それによると、広範囲にわたる改革によって、ブラジル、ウルグアイベネズエラその他の国々では、貧困が劇的に縮小した。いずれも米国の影響が軽微であった国々である。それに対して、長く米国の支配的影響下にあったグアテマラホンジュラス等々は、なおも深刻な貧苦にあえいでいる。北米自由貿易協定の参加国で、比較的に富めるメキシコでさえ、貧困は由々しき問題で、2013年には100万人があらたに貧困層に加わった。

 

世界が懸念する事項-----世界平和に対する脅威など-----についての原因の数々は、米国でも時にあいまいな形でありながらも認識されてはいる。
たとえば、元CIA長官のマイケル・ヘイデン氏は、オバマ政権のドローン(無人攻撃機)による暗殺作戦について論じた際、こう述べた。
「目下のところ、これらの作戦行動に関する米国の法的根拠をうべなう政府は、地球上に存在しません。アフガニスタンとおそらくイスラエル以外は」、と。

 

普通の国であれば、自分が世界でどう見られているかが気になるであろう。わが「建国の父祖たち」の言葉を借りると「全世界の人々の意見を真摯に尊重する」ことに心を砕く国であるからには、気になって当然であろう。ところがどっこい、米国は並みの国ではないのだ。1世紀の間、米国は世界でもっとも旺盛な経済力をほこった。そして、第二次世界大戦以降、みずからまねいた要因もあって幾分衰退したとはいえ、その世界覇権を真におびやかす国は登場しなかった。

 

米国は、いわゆる「ソフト・パワー」を念頭に、自国の好ましいイメージを構築すべく、大規模な「広報外交」(別名プロパガンダ)キャンペーンを展開している。それは、時には、歓迎すべき価値のある施策をともなっていた。
だが、米国を平和に対する突出した脅威と世界が信じてゆずらない場合、米国メディアはその事実をめったに報じないのである。

 

自分の好まない事実にそしらぬ顔をすることは、無敵の強国が持つことのできる特権の一つである。また、これと密接に関連しているのは、歴史を大幅に書き換えることのできる権利である。

 

その現行の事例は、今なお激しさを増している、スンニ派シーア派の対立に関する嘆きに見出される。この対立は中東、とりわけ、イラクとシリアを悲惨の極みにたたき込んでいる。しかし、米国の論評に幅広くうかがわれる見解は、この対立・紛争が、この地域からの米軍の撤退という嘆かわしい結果により生じたとするものだ。米国の「孤立主義」がまねく危険の教訓というわけなのである。

 

より適切なのは、これとはまったく逆の見方であろう。イスラム諸国の紛争の根本原因はさまざまであるが、どうあっても否定し難いのは、この対立が米英主導のイラク侵攻によって大幅に激化したという点である。
また、侵攻自体がニュルンベルク裁判において「究極の国際犯罪」と定義されたこともくり返し強調すべき点である。侵攻が「究極の国際犯罪」であり、他の犯罪と一線を画すのは、それが後に引き続くあらゆる悪を内包するからであった。目下の惨状もこれにふくまれる。

 

この歴史の過激な書き換えをめざましい形で示すのは、ファルージャで進行中の残虐行為をめぐる米国の応答である。メディアで支配的な言説は、むなしい自己犠牲の痛みをうんぬんするものであり、米国兵士たちはファルージャを解放するために闘い、あるいは命を落としたのだとする。
2004年のファルージャ攻撃に関する報道を検証してみればすぐにわかることであるが、これは、侵攻という戦争犯罪のうちでもっとも凶悪でおぞましい部類に属していた。

 

ネルソン・マンデラ氏の死去もまた、「ヒストリカル・エンジニアリング(歴史工学)」と呼ばれるものの驚くべき働きについて、人を省察にみちびく機会をあたえてくれる。「ヒストリカル・エンジニアリング」とは、権力者の意にかなうよう歴史的事実を再編することである(末尾の訳注を参照)。

 

マンデラ氏は、ついに自分の自由を勝ち取った時、高らかにこう語った。
「獄中にいる間ずっと、キューバは私にとって啓示であったし、フィデル・カストロ氏は力の源泉として抜きん出た存在でした。…… [キューバの人々の勝利は]白人圧制者たちの無敵性という神話を打ち砕き、闘いに参与する南アフリカの多くの人々の精神を鼓舞しました。アパルトヘイトという業苦からわれわれの大陸、われわれ南アフリカの人間を解放する手引きとなったのです。…… アフリカとのからみでキューバが示した厚情の記録を、他のどんな国がしのげるでしょうか」

 

今日、プレトリアの記念公園「フリーダム・パーク」には、「名前の壁」と呼ばれる一角があり、そこには、米国の支援する南アフリカ軍の侵攻からアンゴラを守るために亡くなったキューバの人々の名前がきざまれている。彼らは、アンゴラから撤退せよとの米国の要求に頑として応じなかった。また、アンゴラを支え続けたキューバの何千人もの援助活動関係者-----経費の大方はキューバ政府が拠出した-----のことも、忘れ去られてはいない。

 

米国政府が認可する歴史説明は、これとはまったく異なっている。1988年に南アフリカは不法占領したナミビアからの撤退に同意した。これは、アパルトヘイト撤廃への道筋をととのえるものであった。同意後の早くから、ウォール・ストリート・ジャーナル紙は、このなりゆきを米国外交の「輝かしい功績」と称え、「レーガン政権による屈指の外交成果の一つ」と賛美した。

 

マンデラ氏と南アフリカ陣営とでは、なぜこれほどかけ離れた見方になるのか、その理由は、ピエロ・グレイへセス氏のすぐれた学術研究書『自由の理念: ハバナ、ワシントン、プレトリア-----アフリカ南部の闘争 1976年~1991年』の中で、詳細に分析されている。

 

グレイへセス氏が説得力のある形で示したことであるが、南アフリカによるアンゴラ侵攻と同地でのテロ活動およびナミビアの不法占領が終わりを告げたのは、南アフリカ国内における「黒人たちの熾烈な抵抗」とナミビアのゲリラの勇敢さに「キューバの軍事力」が加わったからであった。ナミビア解放軍は、公正な選挙が可能になるやいなや、やすやすと勝利を手にした。アンゴラでも同様に、選挙では、キューバの支持する側が優勢となった。しかし、米国は、南アフリカ軍が撤退を余儀なくされて以降も、対立する側の邪悪なテロリストたちを支援し続けた。

 

アパルトヘイト体制を、また、隣国に対するおそるべき略奪と破壊行為を最後まで強く支持したのは、実質上レーガン政権とその取り巻きたちだけであった。これらの恥ずべき行状は、米国では歴史からぬぐい去られるかもしれないが、世界の人々はおそらくマンデラ氏の言葉にうなづくであろう。

 

これらの例でも、その他のあり余る例においても明らかであるように、絶対的な強国は現実を忌避していられるのだ-----ある程度まで、であるが。

 

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[訳注・補足など]

■訳注・1

以下のサイト

Historical engineering - SourceWatch
https://www.sourcewatch.org/index.php/Historical_engineering

では、次のように説明されている。

 

(仮訳)
第一次世界大戦のさなか、米国の歴史家たちは、米国の国策に沿うよう歴史を書き換えることを申し出た。自分たちの提案したその偽計を表現するために使った言葉は「ヒストリカル・エンジニアリング(歴史工学)」であった」

 

■補足・1
米国の政府と大手メディアによるプロパガンダチョムスキー氏の生涯をつらぬく大きなテーマの一つであること、また、氏が若い頃からこれに敏感であったこと等は、本コレクション・1の「その他の訳注と補足など」を参照。