チョムスキー 時事コラム・コレクション

言語学の大御所であるノーム・チョムスキー氏はまた、時事問題に関する優れたコラムニスト、エッセイストでもある。 本ブログでは、チョムスキー氏のウェブサイト https://chomsky.info/ から、特に心に残るコラム、エッセイ等を選んで訳出・紹介する。

チョムスキー 時事コラム・コレクション・8

 

[戦争にまつわる罪の意識はすべての国に]


原題は
Guilt of War Belongs to All


今回の文章は、日本人にとってはとりわけ印象深い。過去の戦争犯罪に関する謝罪や悔悟の念の表明について言及されている。
一方、現代世界における唯一の超大国であるアメリカは、圧力をかけられる国がないために、それらの問題をまぬがれているのである。

1995年に書かれた文章であるが、現在でも立派に通用する。


原文サイトは
https://chomsky.info/19950730/

 
(例によって、訳出は読みやすさを心がけ、同じ理由で、頻繁に改行をおこなった)


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Guilt of War Belongs to All
戦争にまつわる罪の意識はすべての国に


ノーム・チョムスキー

『オブザーバー』紙 1995年7月30日

 

1995年という今年は、さまざまな記憶を呼び起こす年である。ある人々にとっては、後悔と釈明をもまた引き連れてくる。
第二次大戦の勝利国はこれまで、原子爆弾の投下その他の犯罪行為に関して、いかなる謝罪または悔悟の念の表明もしりぞけてきた。
一方、彼らにとっての「対日勝利の日」である8月15日を間近にして、日本は、その戦争犯罪を十分かつ適切に認めていないとして、くり返したたかれている。

 

原爆投下をめぐる議論には一応の理屈がある。ヒロシマナガサキへの原爆投下は、いかに恐るべきものとはいえ、侵略行為ではなく侵略行為への対処としてのそれであったというわけである。

 

しかしながら、日本を、過去の犯罪行為の謝罪をこばむ、ずば抜けて邪悪な侵略者として描出してみせるのは、日本政府がこれまでに示してきた身振りを無視する行為である。そればかりか、そのような身振りを欧米が示してこなかった点から目をそむけるふるまいである。

 

日本の村山富市首相は、この5月に中国を訪問するとともに、戦後50周年の終戦記念日をむかえた際、「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。~ ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします」と述べた(訳注: いわゆる「村山談話」)。

 

ニューヨーク・タイムズ』紙東京支局のニコラス・クリストフ記者は、先頃、ある世論調査について報道した。
日本人の80パーセントは、日本が侵略または植民地支配した国々の人々に対し政府は十分な補償をおこなっていないと感じている、という結果であった。
また、記事では、2年ほど前、当時の首相が戦争の犠牲者に対し「明確な謝罪」を申し述べたことも伝えている(訳注: 細川護煕首相の所信表明演説(1993年8月23日)を指すと思われる)。

 

しかしながら、記事の後半では、クリストフ記者は、こう危惧の念を表明している。日本は「他のアジアの国々に侵攻し、何百万という人々をあやめたことに関し」十分な謝罪をおこなっていないのではないか、と。
同記者の書いた記事の一つはこう題されている。「日本はなにゆえあの言葉を口にしないのか?」。罪を率直に認めようとしない日本の態度について、一般の困惑を表現したかっこうである。

 

同じような批判は、英国の報道でも見られた。
『デイリー・テレグラフ』紙で国防分野を担当するジョン・キーガン氏はこう問いを発する。「日本はなぜごめんなさいと言わないのか」、と。
ドイツのコール首相とフランスのミッテラン大統領は、和解と友好のしるしとして、そろってヴェルダン(訳注: 第一次世界大戦で独仏両軍が多数の死傷者を出した戦場)を訪れ、無名兵士のために祈った。ドイツはホロコーストの罪を認め、生き延びた人々には補償金を支払った。ところが日本人は、とキーガン氏は不満をもらす。後悔の念を公にすることから「身をよじってのがれてきた」。
また、記事の中では、この6月、日本の国会が「謝罪」という言葉の代わりに、もっとあいまいな「認識」や「反省」という言い回しを使った決議を採択したこと(訳注: いわゆる「戦後50年決議」)にもふれている。

 

公平な視点ということになれば、『ニューヨーク・タイムズ』紙が頼りとなろう。すなわち、クリストフ記者はかく弁じる。
「素直にごめんなさいと言えない国は何も日本だけではない。米国政府はここ半世紀の間、数々の政権を転覆させてきた。アメリカ国民は、たとえば「1812年戦争」(米英戦争)の際のカナダ侵攻、あるいは、1914年と1916年のメキシコへの武力介入の当時、まったく眠れぬ夜をすごしたというわけではなかった。これらは、われわれが『謝罪の言葉を口にする』べき理由についてあれこれ思量する時、心に浮かぶ顕著な事例である」。

 

侵略国が謝罪しなければならないのは、彼らが戦争に負けた場合だけである。いや、その場合でさえ、もろもろの例外が存する。
日本には、第二次大戦に関し、日本よりドイツの方が悔悟の念が強いことを認めたと言われている知識人もいる。しかし、彼らの説くところによれば、ドイツは、隣接する国々が強国であったがゆえに、自分の犯した罪を忘れるわけにはいかなかった。一方、当時の中国や南北朝鮮のような国力の微弱な国は、日本にそのような圧力をかけられる存在ではなかった、と。

 

同じような事情がアメリカ人の才覚についても関係しているのではないか-----こう問うてみる知識人は、この国にはまず見当たらない。
この才覚に、19世紀フランスの著述家アレクシ・ド・トクヴィルは驚異の目をみはった。トクヴィルが目撃したのは「砂漠を越える文明の勝利の行進」、言い換えれば、先住民族に対するすさまじい殲滅戦であり、それは「人間性にかかわる法への全幅の敬意を維持しつつ、…… 並外れた巧妙さで、落ちつき払って、合法的、博愛主義的に、血を流すことなく、道徳の大原則に何一つもとることなくおこなわれた-----と世界には映じた」のであった。

 

また、人種差別主義的な歴史家でもあったセオドア・ルーズベルト大統領は、アメリカの精神を高らかに謳い上げた、4巻から成る自著の『西部征服史』(1890年刊)の中で次のように語っている。
「国としてのわれわれの対インディアン政策には、批判の余地がある。それが示す軟弱さ、長期的展望の欠如、また、時に感傷的人道主義者の政策に傾いたこと、等々。それに、われわれはしばしば実行不可能なことを約束したりした。けれども、意図的な悪事は働かなかった」。

 

上記のキーガン氏によると、日本民族の慣習では、「現在のことであれ過去のことであれ、日本人自身が悪事を働いたとは認めないことになっている。それを認めることこそが悪なのである。日本民族にとっても悪であり、当の日本人自身にとっても悪である」。

 

アメリカは、この2世紀の間、自分より力の弱い敵をたたき潰してきた。米国の風土において「謝罪の言葉を口にする」という考え自体がひどく理解し難いことになっている事実は、この歴史とかかわりがあるのではないか。
しかし、こういう問いを思い浮かべるのは「舞台の袖にひかえている野蛮人」だけである。これは、国家安全保障問題担当の大統領補佐官マクジョージ・バンディ氏が1967年に使ったもので、同氏は、ベトナムにおける米国の聖戦の高邁さを感じ取れない人間を指して、こう述べたのだった。

 

この4月、アメリカがベトナムから軍を撤退させて20周年をむかえるにあたり、数多くのコメント、コラムの類いが書かれた。
しかし、それらには、アジアの人々に「耐え難い苦しみと悲しみをもたらしたことに対し、深い反省の気持ち」を表明した日本政府の言葉を思い起こさせるような文言は見当たらなかった。そのような意識はアメリカ人には無縁なのである。

 

アメリカの武力攻撃によるインドシナ半島での死亡者数は、戦争の死傷者数がけた違いの20世紀の中でも、突出している。
サイゴン陥落の記念日を目前にひかえ、ベトナム政府は犠牲者に関するあらたな推測値を発表した。そして、その数字は一般に妥当と認められている。

 

それによると、200万人もの民間人が命を落とした。その圧倒的多数は南ベトナムに属する。北ベトナムの兵士および南ベトナム解放民族戦線の兵士(米国政府のプロパガンダ用語では「ベトコン」である)の死者は、合わせて110万人である。これに、戦時行方不明兵として30万人が加わる。

 

米国政府は、従属的政権(すなわち「南ベトナム」)の軍の死者を22万5000人と見積もっている。
また、米国が関与し、非関係国(フィンランド)による調査団が「虐殺の時代」と呼んだ、カンボジアの1969年から1978年にかけての同国の死者数は、CIAの推計によると、60万人にのぼる。
それをさらに数千人上まわる死者をラオスは計上した。主に米国の攻撃によるもので、しかも、ベトナムでの戦いとは大略、無関係であった。

 

これらの死者に関して、米国は責任を負う。ちょうど日本が中国における死者に責任を負うように。また、ロシアがアフガニスタンの死者に責任を負うように。
引き金を引いた者は誰であろうと責任を負わなければならない。これは自明の理であって、欧米の知識人は骨の髄から了解している事項である-----自分以外の国に責任を帰せられる場合は。

 

米国人がベトナムの死者数を僅々10万人程度と思い込んでいるのは、米国の教育制度の賜物である。
わずかに「野蛮人」だけが次のような問いを発することができよう。
ドイツや日本あるいはゴルバチョフ以前のソ連に帰せられる犠牲者数に関して、比率的にそれと同等の数字がもし提示されたとしたら、米国人の反応はいかなるものであろうか、また、それはわれわれ自身について何を語ってくれるであろうか、と。

 

最近のソマリアの事例では、米軍司令部はソマリア側の犠牲者数を算定しなかった。米軍撤退を指揮したアンソニー・ジニ海兵隊大将は報道陣に「遺体を数えるつもりはない …… 。(そのことには)さして関心がない」と語っている。

 

しかし、『フォーリン・ポリシー』誌の編集者であるチャールズ・メインズ氏によれば、「米軍により7000~1万人のソマリア人が死亡したとの推計をCIAの職員が内々にもらしている」。一方、米軍兵士の死者は34名である。

 

もちろん、さればと言って、米国人が眠れぬ夜をすごしたわけではなかった。それは、ほとんど米国の歴史に添えられた脚注にすぎない。
米国の歴史は、建国の父祖たちが「ネイティブ・アメリカンというあの不運な人々」を気にかけてきた時代から積み重ねられてきたが、その人々を「われわれは仮借ない、道義にそむく残忍さで滅ぼしつつある」。こう、ジョン・クィンジー・アダムズ大統領(在任期間1825~1829年)は述べた。ただし、アダムズ大統領がこう述べたのは、このふるまいに関する自分自身の貢献が終了してからずっと後のことであった。
19世紀初頭に国務長官の任にあったアダムズは、「議会の承認を得ない、行政府の裁量による戦争」という路線を切り開いた人物であった。この路線は伝統となり、ベトナム戦争に至るのである。

 

一方、イギリスでは、英米軍によるドレスデン空爆に関して、少なくともある程度は真摯な内省が見られた。この空爆ドレスデンを破壊しつくし、何万人もの民間人を犠牲にした。しかし、それ以前にイギリスは独軍から熾烈な攻撃を受けていた。アメリカは「1812年戦争」(米英戦争)以来、そのような攻撃は経験していない。

 

これらと対照的なのは、米軍による東京大空襲から50年となる節目にあたってのワシントン・ポスト紙の記事である。そのタイトルは「日本、過去の役割を見直し-----被害者よりむしろ加害者の面にスポット」というものだった。
(この東京大空襲では、結果があまりに酸鼻をきわめたため、東京はさらなる原爆投下の候補地リストから外されるしまつであった。すでに瓦礫と焼死体の山となっている地にあらたに原爆を投下しても無意味だからである)

 

他のあまたの犯罪行為の場合と同様に、米国では、この東京大空襲の節目における反応も狭量なものであった。
もしそれが戦争に勝つために必要であったなら、まさしくそれはなされなければならなかった-----とまあ、そんな具合である。

 

ベトナムへの武力介入の主導的政策立案者であったロバート・マクナマラ氏は先頃、『回顧録』を上梓したが、その中には次のような文言がある。
1967年に至ると「心理的圧迫と緊張」があまりにすさまじく、時に睡眠薬を利用せざるを得なかった、と。

 

米国民の心の平安にとって幸いなことに、近年の歴史的事件の節目にあたり、「眠れぬ夜」を惹起するような事由はほかにたいしてないのである。


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[その他の訳注・補足など]

■補足・1

文中の

「公平な視点ということになれば、『ニューヨーク・タイムズ』紙が頼りとなろう。」

について。

 

チョムスキー氏が昔からたびたび『ニューヨーク・タイムズ』紙の偏向その他を指弾してきたことを思い起こせば、これには当然、皮肉がこめられていると考えてよかろう。

 

また、「米国の歴史は、建国の父祖たちが『ネイティブ・アメリカンというあの不運な人々』を気にかけてきた時代から積み重ねられてきたが、~ 」の「気にかけてきた」も、むろん、皮肉をこめての表現である。

 

その他、文章のあちこちに、チョムスキー氏お得意の皮肉な言い回しが見られる。これについては、以前の「その他の訳注・補足など」でもふれた。

 

■補足・2

この文章で、チョムスキー氏は、フランスの思想家トクヴィルの言葉を引用して、米国が早くからプロパガンダ、イメージ戦略、等に長けていたことを示唆している。
同氏が、太平洋戦争前後も、日本に関するこの種のプロパガンダに敏感であり、それにあざむかれなかったことは、「コレクション・1(侵攻の「新語法」-----アメリカとソ連)」の「補足・2」を参照。

 

■補足・3

文中の

「(この東京大空襲では、結果があまりに酸鼻をきわめたため、東京はさらなる原爆投下の候補地リストから外されるしまつであった。すでに瓦礫と焼死体の山となっている地にあらたに原爆を投下しても無意味だからである)」

については、米国空軍の公式記録文書(太平洋戦略航空軍を指揮したカール・スパーツ大将の証言など)に基づいていると思われる。「コレクション・6(恐れの活用)」の中段の文章で、そう明らかにされている。

 

■補足・4

米国は自分の犯した悪事、犯罪行為、加害者などの面を直視しようとしないが、世界で唯一の超大国であるがゆえに、そうした面をきびしく追及されずに済んでいる。それはいわば「強国の特権」であり、このテーマは「コレクション・5(強国の特権)」でもあつかわれている。

 

第二次大戦以降の歴代米国政権による犯罪行為に関しては、「コレクション・番外編・1(もしニュルンベルク諸原則を適用したら…)」の本文およびその「その他の訳注・補足など」を参照。

 

今回の文章にもうかがえるように、チョムスキー氏は現代米国の悪と犯罪行為を真っ正面から見据える。いわゆる「ダブルスタンダード」をゆるさず、米国が他国に適用する基準を米国自身にも適用する。氏が「現代アメリカの良心」と呼ばれるゆえんである。