チョムスキー 時事コラム・コレクション

言語学の大御所であるノーム・チョムスキー氏はまた、時事問題に関する優れたコラムニスト、エッセイストでもある。 本ブログでは、チョムスキー氏のウェブサイト https://chomsky.info/ から、特に心に残るコラム、エッセイ等を選んで訳出・紹介する。

チョムスキー 時事コラム・コレクション・7

 

[「いわゆる国際社会」の犯罪]


原題は
The Crimes of ‘Intcom’


今回の文章は、米国政府やメディアなどが使用する「国際社会」なる言葉の欺瞞性を衝くもの。
往々にして、この「国際社会」とは、「米国とその同調国」を指すにすぎない。


原文サイトは
https://chomsky.info/200209__/

 
(例によって、訳出は読みやすさを心がけ、同じ理由で、頻繁に改行をおこなった)


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The Crimes of ‘Intcom’
「いわゆる国際社会」の犯罪


ノーム・チョムスキー
『フォリン・ポリシー』誌 2002年9月号

 

哲学者ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインの著作を読んだ人は、ある語句の意味を決定するにあたって、その使い方に注目するようになる。
このウィトゲンシュタインの導きにしたがうと、われわれは決まって気づかされる-----政治を論ずる際の言葉が、文字通りの意味とはまるっきり異なる、教理的な意味で用いられていることに。
たとえば、「テロリズム」なる言葉は公的な定義に沿って使われてはいない。それは、「彼ら」が「われわれ」および「われわれの同盟国」に対しておこなったテロに限定されている。
同じような慣習は「戦争犯罪」や「(自国)防衛」、「和平交渉」等々、その他おなじみの用語にも当てはまる。

 

このような言葉の一つに「国際社会」がある。
その文字通りの意味はそこそこ明瞭であろう。すなわち、国連総会あるいは国連加盟国の大多数というのがまともな候補としてまっ先に心に浮かぶ。
ところが、この言葉は決まって狭い意味で-----すなわち「米国とその同調国」を指して-----使われている。
(以下、私は、この狭い意味での使い方の方を「いわゆる国際社会」と表現することにしよう)
このような次第であるから、米国が国際社会を拒絶するなどということは論理的に不可能なのである。
こうした流儀は、目下の関心事である問題をいくつか見渡してみても、十分すぎるほど明らかである。

 

メディアでの報道を人は目にしないが、米国は4半世紀もの間、サウジアラビアの提案にほぼ則る形でパレスチナ紛争の外交的解決をめざす国際社会の努力をじゃま立てしてきた。
サウジアラビアの提案は、アラブ連盟が2002年3月に支持を表明しており、歴史的な機会を提供するものと広く称賛されている。ただし、その実現には、アラブ諸国イスラエル国の存立を承認することが究極的な鍵であった。
実際には、アラブ諸国は(パレスチナ解放機構とともに)、1976年1月以来ずっとくり返し、それを認めてきたのである。すなわち、1976年1月、アラブ諸国は他の国々に和して国連安保理決議を支持した。それは、政治的解決をめざし、占領地域からのイスラエル軍の撤退を土台として、「中東のすべての国の主権、領土保全、政治的独立、また、国際的に承認された安定した国境の中で平和裏に暮らす権利を……保証するための……適切な取り決め」をともなうものであった。実質上、これは、パレスチナ国家を含めるべく拡大された国連安保理決議242号に等しい。
しかし、米国はこの決議案に拒否権を発動した。これ以降も、米国政府は同様の取り組みを阻み続けた。一方、米国民の大半は、サウジアラビアの提案でもくり返されたこの政治的解決の道筋に対し、支持を表明している。
ところが、これらの事実は、米国政府が国際社会もしくは国民の意見を拒絶しているという解釈にはならないのである。現行の慣習の下では、それはあり得ない。なぜなら、定義上、米国政府は「いわゆる国際社会」を拒絶するなど不可能だからである。そしてまた、民主制国家として、米国政府は必然的に、国民の意見に耳を傾けているとされる。

 

同様にメディアで取り上げられていないのは、米国がテロをめぐり、国際社会にあらがっているという事実である。
1987年12月の重大な国連総会決議の折り、米国は実質上、単独で反対票を投じた(ほかに反対票を投じたのはイスラエル。棄権国はホンジュラスのみ)。この国連決議は、テロというこの近代の疾病をきびしく非難し、すべての国にその根絶を求めたものだった。
反対の理由は示唆に富み、今日との関連性はきわめて大きい。
が、これらの事情はすべて歴史からぬぐい去られている-----「いわゆる国際社会」が(本来の意味での)国際社会にたてつく場合には、これがいつものことなのだ。

 

当時、米国政府は、平和的な解決を中米にもたらすための中南米諸国の努力を弱体化しようとしていた。国際司法裁判所は、米国の国際的なテロ行為を非難し、米国にそのような犯罪行為の停止を命じていた(訳注: いわゆる「ニカラグア判決」)。
これに対し、米国政府は活動の強化・拡大で応じた。
例によって、このような過去の経緯は、これ以降の似たような事例と同様、テロに対する「いわゆる国際社会」の態度につゆほどの影響もおよぼさなかった。

 

時には「いわゆる国際社会」の、国際社会との乖離が目をひくこともあった。そして、国際社会の側のこのような精神的病弊に対して、困惑しながらメスが入れられた(下記訳注・1を参照)。
リチャード・バーンスタイン氏による、『ニューヨーク・タイムズ・マガジン』1984年1月号の「国連対米国」と題する文章は、そのような試みの好例である(「米国対国連」という題ではないことに注意されたい)。(下記訳注・2を参照)
国際社会の方がずれている証拠としては、さらに以下のような事実が挙げられよう(下記訳注・3を参照)。
国際連合発足の当初-----すなわち、米国の意向が法に等しかった時代-----を除外すると、国連安保理決議に拒否権を行使した国では、米国が他国をはるかにひき離してトップである。二番手は英国、三番手がずっと間隔をおいてソビエト連邦(後にロシア)であった。国連総会決議の記録においても、似たような展開が見てとれる。
しかし、国際社会をめぐる議論はなんらの決着にも至らなかった。

 

現代の大きなテーマとしてかかげられるのは、「いわゆる国際社会」が1990年代に起こったと称する規範的革命である。すなわち、「いわゆる国際社会」は、恐るべき犯罪行為に終止符を打つべく、ついに人道的介入という義務を引き受けるに至ったというのだ。
ところが、国際社会の方が「人道的介入の『権利』なるものを拒否している」という事実は、決してメディアで報じられない。
また、あらたな装いを借りた昔ながらの帝国主義と感じられる、他の強圧的なやり方-----とりわけ、欧米の教義上では「グローバリゼーション」と称される、経済的統合の一形態など-----への国際社会の拒絶反応についても、やはり取り上げられない。
こうした国際社会の態度は、2000年4月の「南サミット」の宣言文で詳細に述べられている。このサミットは、発展途上国133カ国が参加する「グループ77」(以前の「非同盟諸国」が中核となって発足)による初の首脳会議である。この「グループ77」参加国は総計で世界人口の約80パーセントを占めることになる。
しかし、この宣言は、大手メディアでは侮蔑的な言葉を含みつつ多少言及されたにすぎなかった。

 

1990年代は人道的介入の時代と広く考えられている-----1970年代ではなく。ところが、1970年代の方が、途方もない犯罪を終息に導いた2つのもっとも重要な介入の事例によって、他の時代と截然と区別される。すなわち、東パキスタンに対するインドの介入、および、カンボジアに対するベトナムの介入である。
なぜ1970年代が人道的介入の時代と見なされないのか、その理由ははっきりしている。人道的介入をおこなったのが「いわゆる国際社会」ではないからだ。
それどころか、これらの人道的介入に「いわゆる国際社会」は強く反対した。経済制裁を課し、インドに対しては威嚇的なふるまいに出た。ポル・ポト政権の残虐行為がピークに達しつつある頃、それを止めようとした廉で、米国はベトナムをきびしく罰した。
これと対照的に、米国が主導したセルビア空爆は、世界があらたに蒙をひらかれためざましい企てと見なされている。インドや中国その他、世界の相当数の国々がそれに激しく反対したにもかかわらず。
この人道的介入をこまかく検証するのは別の機会にゆずるとしよう。
もっとも、一言すると、それは「いわゆる国際社会」の「威信」をたもつため、そしてまたイメージ戦略の一環として実施されたものであり、残虐行為を終了させるという建て前で始められたが、それを助長する結果に終わった企てだった。
また、「いわゆる国際社会」が同じような残虐行為、いや、もっとひどい残虐行為に長年関与し、それから手を引くのを拒んだこと、そしてそれが「いわゆる国際社会」の実際の価値基準について暗示することも、ここではこれ以上論じない。

 

上記のような話題は、「開明的」と自称する国々の責務に関する豊富な文献を渉猟しても、見出すことがむずかしい。
ところが、他国の犯罪行為へのしかるべき対応をさまたげる「いわゆる国際社会」の文化的欠陥について考究する文献は、それ自体で一つのジャンルを形成し、高い敬意をはらわれている。
確かにそれは興味深いテーマではある。しかし、多少でも筋の通った観点からすれば、それよりはるか上方に位置づけられておかしくない別のテーマ、問われることがないままのテーマ、がある。
すなわち、「なぜ『いわゆる国際社会』は、直接、または、凶悪な同盟国への多大な支援を通じて、恐るべき犯罪行為に手を染め続けるのか」、である。

 

このような調子でいくらでも書き続けることができる。が、最後に一つだけ指摘しておきたいのは、上記のようなふるまいは「いわゆる国際社会」の創意発明にかかるものではないということである。歴史的にありふれたものと言ってもよい。歴史には、思い起こすのもいまわしい似たような行状がいくらもころがっている。

 

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[その他の訳注・補足など]

■その他の訳注・1

ここでの「精神的病弊」は、チョムスキー氏のいつもの皮肉を込めた表現である。
チョムスキー氏は、ここでは、わざと米国政府の視点から表現してみせている。米国政府からすれば、おかしいのは米国ではなくて国際社会の方なのである。

 

■その他の訳注・2

「国連対米国」の原文は The U.N. versus the U.S. である。
この A versus B(A対B)は、AとBが等価であるのが一般であるが、A against B と書き換えられる場合もあり、その場合は、文法的に against B が修飾語句として A にかかることになる。おそらく、そのような事情もあり、A により比重がかかっているニュアンスが生じやすい。
このようなニュアンスの違いがここでは前提になっていると考えられる。
文中の The U.N. versus the U.S.(国連対米国)も The U.N. (国連)の方により焦点が当たっていて、「問題があるのは The U.N.(国連)だ」というニュアンスが生じていると思われる。


■その他の訳注・3

上の訳注・1と同様、ここも皮肉を込めた表現。
米国政府からすれば「ずれている」のは国際社会の方ということになる。
普通に表現すれば「米国がずれている証拠としては~」である。

 

なお、チョムスキー氏の好む皮肉・反語的表現については、前回のブログ[恐れの活用]の「その他の訳注・1」でもふれた。
米国政府あるいは支配者層、権力者層の視点からの言い回しを用いるのは、チョムスキー氏お気に入りの文章術である。

 

■補足・1
文中で言及されている「1976年1月」の「国連安保理決議」とは、「安保理中東討議」と呼ばれるものであるらしい。

ネット上の説明を拝借すると、

安保理中東討議は、1967年11月の和平決議をはじめ、アラブ・イスラエル戦争収拾に主要な役割を演じてきているが、76年1月12日からの討議で、PLO代表に国連加盟国と同じ資格で参加することを認める画期的進展がみられた。会議では、非同盟6力国が、パレスチナ人の国家樹立権、難民の帰還権、イスラエルの全占領地からの撤退という強い主張を、イスラエルの存在と平和的存在の権利の保障とバランスをとりながら謳った決議案を提出して注目された。決議案は賛成9をえながら、アメリカの拒否権で流産させられたが、全占領地からの撤退とパレスチナ人の権利にたいする国際世論を高めるのに貢献した。」
(月刊基礎知識 from 現代用語の基礎知識
https://www.jiyu.co.jp/GN/cdv/backnumber/200303/topics02/topic02_07.html

 とある。

 

それにしても、この「安保理中東討議」は、ネット検索で2件しか出てこない(そして、結局、この2つは同じサイトである)。
ネットの情報量の膨大さを考えると、驚くべき少なさである。
米国政府に都合の悪い報道や情報は、時にネットでもこのように極端に少ない。

 

■補足・2
文中の、

「1987年12月の重大な国連総会決議の折り、米国は実質上、単独で反対票を投じた(ほかに反対票を投じたのはイスラエル。棄権国はホンジュラスのみ)。」

 について。

 

この1987年12月の国連総会決議、すなわち、「国連総会決議42/159」も、上の「安保理中東討議」と同様に、ネットには報道や情報がほとんど見当たらない。

 

これらの事実をメディアが取り上げないというチョムスキー氏の指摘の正当性が、これによってあらためて浮き彫りになる。

 

■補足・3
文中の

「しかし、国際社会をめぐる議論はなんらの決着にも至らなかった。」

について。

 

もちろん、そのまま議論を深めれば、おかしい・「ずれている」のは米国の方、理があるのは国際社会の方であることがはっきりしてしまうからである。

 

■補足・4
文中の

「この人道的介入をこまかく検証するのは別の機会にゆずるとしよう。」

について。

 

チョムスキー氏が「人道的介入」を真っ正面からくわしく論じた著作で、邦訳されているものは

・『アメリカの「人道的」軍事主義―コソボの教訓』
(益岡賢、大野裕、ステファニー・クープ訳、現代企画室、2002年刊)

・『新世代は一線を画す―コソボ東ティモール・西欧的スタンダード』
(角田史幸、田中人訳、こぶし書房、2003年刊) 

がある。

 

■補足・5
文中の

「また、「いわゆる国際社会」が同じような残虐行為、いや、もっとひどい残虐行為に長年関与し、それから手を引くのを拒んだこと、そしてそれが「いわゆる国際社会」の実際の価値基準について暗示することも、ここではこれ以上論じない。」

について。

 

この「同じような残虐行為、いや、もっとひどい残虐行為に長年関与し、それから手を引くのを拒んだこと」とは、チョムスキー氏の著作になじんでいる人ならばすぐにわかるであろうが、たとえば、米国がインドネシア政府による東ティモール侵攻や南アフリカ共和国アンゴラ侵攻等々を長年にわたって支持し続けたことなどを指すであろう。

本ブログの範囲で言うと、

インドネシアによる東ティモール侵攻については、」コレクション・4」の[ある島国が血を流したまま横たわる]を参照。

南アフリカ共和国によるアンゴラ侵攻については、「コレクション・5」の[強国の特権]を参照。

・米国の歴代政権が犯した数々の戦争犯罪については、「コレクション・番外編・1」の[もしニュルンベルク諸原則を適用したら…]を参照。

 

■補足・6
上記の文章の後半、

「そしてそれが「いわゆる国際社会」の実際の価値基準について暗示すること」

 について。

 

これは、言い換えれば、

「そしてそれが「いわゆる国際社会」(米国とその同調国)が何にもっとも価値を置いているか、何を優先事項としているかを暗に示すもの」ぐらいの意味であろう。

 

すなわち、具体的には、米国がインドネシア南アフリカ共和国の侵攻その他を支援し続けたことは、「自由」や「民主主義」、「人権」等々よりも「米国の覇権」、「資源掌握」、「兵器売却益」などを重視したことを示唆している、ということである。

 

これについては、とりわけ、「コレクション・4」の[ある島国が血を流したまま横たわる]と「コレクション・2」の[そりゃ帝国主義だ、ボケ!]を参照。